がんばろう、宮城
五社遙拝之宮
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朝日山計仙麻神社

沿革
旧深谷荘中の最高峰(海抜174メートル、県立公園)東南は河海を臨み、西北は山嶽を眺む佳地に鎮座しております。
深谷一の宮旭山宝龍大権現と称します。
古老口伝によれば大同年間に勧請、延喜式内計仙麻神社にして、牡鹿郡十座の中の一座という説等々がありますが後考を俟つことにしました。
権現の称を廃され、明治5年3月村社に列し、現社号に改めました。
大正15年に幣帛供進社に指定されました。
明治41、42年の合祀令により村内25社が合祀されました。
古くから農漁村民の信仰厚く、塩入、矢本、大曲浜まで神輿の渡御行事が行なわれて来ましたが、交通事情により中止され、現在は氏子の里を2年にかけ一巡渡御を実施しています。

龍口神社

沿革
風土記書上げに「誰勧請ト申儀並年月日相知不申候事」とありますが安永年間に書かれた「前谷地旧記」に、その伝承が記載されています。「祭事の始めは正保2年9月29日より祭るなり」とあります。 古くから五穀豊穣の神、安産の神として霊験あらたかです。

明治5年3月、旧村社に列しました。境内地内に現存する龍神の詞碑、石鳥居など神社信仰の厚さと歴史を偲ばせます。
祭典には龍口童子により春は女子による花御膳行、秋は男子による流鏑(寛政年間より)の神事が継承されています。
往古より数丈の龍体(岩石)をご神体とし社殿の設けはありませんでした。大正8年6月に拝殿(39・7㎡)を建築しましたが、老朽化した為に平成2年に生を郷に受け育ち京にて事業に成功された故支倉常次殿が巨財を投じ、平成御即位記念に社殿をはじめ奥の宮、末社2社、社務所、倉庫、便所2棟、鳥居、手洗舎を建立寄進され、更に境内地整理美化されご神域を備えられ現在に至ります。

和淵神社

沿革
当社は牡鹿鎮座神名帳に
よれば
「陸奥國古之牡鹿郡鎮座神名帳十座之内、香取伊豆乃御子神社」
と称され、また風土にも詳細に記載されていることからも相当古い時代に祀られた、由緒深い神社です。

現在鞘堂に鎮座する御本殿は昭和五十七年県教委が専門職に精査させた結果、安永年間(およそ200年以上)より以前の建築推定と判定がなされました。
明治5年3月、旧村社に列せられます。

愛宕神社

沿革
由緒不詳ではありますが、当社はもともと「お不動さん」とよばれ信仰されてきました。
安永の書き上げの中にも「不動堂」と出ており「当村御給人勘右衛門様御先祖茂庭勘助様沢之内ヨリ御堀出第2代程御屋敷之内ニ、御勧請被成置候処……」云々とあります。

ご神体は高さ2尺5寸の木立像であります。
明治のはじめ現社号に改め、明治5年5月旧村社に列格しました。

諏訪神社

沿革
由緒不詳ですが安永5年書き上げの深谷風土記に「右神社ハ八幡太郎義家公御勧請之由申伝候先年ヨリ三面刈屋敷庄右衛門庄兵衛屋敷利惣治右三人順番ニテ祭仕来リ当安永五年まで八百有余年ニ罷在候」云々とあります。
真疑は別として古い時代から、武神として名高い神で、また狩猟の御神徳があり、山を持つ当地に祀られたことには意味があります。無格社でしたが昭和27年宗教法人神社本庁所属の登記神社となります。
昭和62年2月7日不審火により社殿を全焼しました。
同年10月再建し平成2年10月御即位礼を奉祝し当社の御神格を高めるため、信濃国一之宮諏訪大社(旧官幣大社)上社本宮より御分霊を拝戴し、10月26日に遷座し鎮座賜わりました。